第1章
クリスマスイブ
1−1
真辺さくらの住まいは、広島市の平和大通りに近いマンションにある。
川を隔てて向こう側は、毎年八月六日に平和祈念式典が行われる平和公園である。
広島という街は、さくらにとって愛着のある街ではない。
勤め先の転勤辞令で、たまたま住むことになっただけである。
だから、原爆に遭った広島といっても、それほどの感慨はなかった。
戦争といっても、今年三十二才になったさくらには歴史の上の出来事に過ぎない。
ただ、夏になると、街のあちこちで催される追悼の集いを目にしたり、テレビで流される当時の逸話などを聞いたりすると、改めて胸が痛むことはあった。
十二月二十三日の午後六時過ぎ、自宅に近い停留所で電車を下りると、ぶらぶらと歩きながらスーパーに立ち寄った。
料理を作るのは嫌いではなかったが、今日はなんとなく気がすすまなかったので、できるだけ簡単に調理できる食材を買ってから店を出た。
街は、クリスマスのデコレーションであふれている。
それを見て、明日のことを思い出した。
クリスマスイブの明日、さくらは食事に誘われていた。
相手は、同じ会社の上司である只見行雄である。
返事は、まだしていない。
そうかといって、特に予定があるわけでもなかった。
もちろん、三十二才になる今までに、恋人の一人や二人はいないこともなかった。
クリスマスイブの夜を、豪華なホテルで過ごしたこともある。
しかし、いつの間にか疎遠になり、過去のことになっていた。
さくらが、結婚ということに拘りを持っていなかったことも、その理由のひとつかも知れない。
或いは、どうしても結婚して一緒に暮らしたいと思うほど、相手のことを思っていなかったのだともいる。
只見は、さくらよりは十才以上も年上で、当然に独身ではない。
家族同伴で、広島市に転勤してきている。
子供もいるし、さくらをクリスマスイブに食事に誘うということは、普通ではあり得ない話である。
そうかといって、夫婦仲が悪いという話も聞かない。
むしろ、普段から聞いている噂では、人並み以上に上手くいっている夫婦のようである。
家庭は家庭、遊びは遊びと明快に割り切っているのであろう。
そういう彼を、只見の同僚である野添は、「あれは、遊び人だから」と評している。
野添は、只見とは全く逆な男である。
歳は少し上であったが、ここへは単身で赴任している。
ゴルフでもギャンブルでも、なんでもこなす遊び上手な只見とは違って、マージャンすら知らない。
言葉の端々には、家庭内が上手くいっていないことが窺える。
会話もスマートとはいず、どちらかといえば寡黙である。
裕福な家庭に育ったからか、明るい性格で、なにごともプラス思考なのは只見で、外見からして陰があるのが野添であった。
この対照的な二人に、さくらはなんとなく興味を持っていた。
只見は、一緒にいれば楽しかったし、野添は自分がなんとかしてあげたいと思うような雰囲気がある。
只見が、自分を食事に誘ってくれたのは嬉しかったが、野添にも誘って欲しいという気もあった。
だが、彼は自分から誘うような男ではない。
只見と一緒に食事をすれば、なにごとにも積極的な彼のことだから、その先はどういうことになるかは想像ができる。
しかし、野添と一緒に食事をしても、それだけで終わるであろうと思った。
今まで、自分から誘って何度か彼と食事をしたが、そういう点では、極めて慎重な男なのである。
或いは、臆病だといってもいい。
「せっかくのイブに、ただ食事だけなんて・・・」
自分の部屋で、ワインと一緒に簡単な夕食をしながらさくらは思った。
それに、野添と一緒に行っても、せいぜいが街のレストランである。
只見なら、高級ホテルの展望ラウンジは間違いない。
「やはり、只見さんにするか・・・」
ふふ・・・と、ひとりで笑うと、さくらは食事の後片付けのために立ち上がった。