第2章
2−1
次に出勤した朝、姿を見かけて只見が寄ってきた。
「悪かったな。約束を忘れてて」
「いいえ。別にはっきりしたお約束をしていたわけではありませんから」
彼の顔を見ないようにして、さくらは事務的に返事をした。
「誰かと、一緒に食事でもしたの?」
「ええ・・・友だちと」
ちょっと、うろたえながら答える。
野添と一緒にと言ってもよかったが、それは言わなかった。
「どう? 今夜あたり、最後の忘年会でもしようか。なにか予定でもある?」
「いえ、別に」
会社の部や課の公式の忘年会は、クリスマス前に終わっていたが、友人や気のあった者同士の飲み会は何度となくあった。
忘年会は、飲み会への単なる言い訳に過ぎない。
「でも、どなたがいらっしゃるんですか?」
「いや、まだ決めていない。何人か誘ってみるよ。時間とか店は、また連絡するから」
まだ、行くともなんとも言っていないのに、承知したものとして只見は自分の部署へ帰っていった。
自分の提案に反対するものなどいないと、勝手に思い込んでいるようなところがある。
野添は、それを彼の生い立ちからきたものだと言う。
ほとんど人を疑うということを知らず、自分の厚意を受けないわけがないと信じている。
それは、反面で他人の家に土足で入ってくるようなところがある。
さくらも、只見の強引さを疎ましく感じることがあったが、それを拒みきれないことが多かった。
やんちゃな息子の母親になったような気持ちで、それを受け入れている自分があった。
今日も、結局は一緒に行くことになるに違いない。
そうさせるのも、ある種の魅力なのかも知れなかった。
その日の午後になって、只見からメールが入った。
メンバーを六人ほど集めたということと、行きつけのスナックの名前が書かれていた。
広島市には、街の中心にある二つのデパートの裏辺りに、飲食店が集中している。
スナックは、その一角にあって、ときどきは得意先の接待にも使うような割と品のいい店である。
メールには、午後七時までに集合と書いてある。
さくらがくることを、まったく疑っていない。
メンバーは、いつも集まっては飲んだり食べたりしている仲間で、女性も三人ほどいる。
その中に、野添の名前はなかった。
一応誘ったが、断られたらしい。
只見とは、仲が悪いわけでもなかった。
仕事の面でも、ややもすると暴走しがちな只見を、冷静な判断で野添がブレーキをかけ、トラブルを未然に防止したこともある。
逆に、慎重さゆえに不足しがちな野添を、只見が補うこともあるというように、お互いが認めあっている点も多い。
このような遊びでも、五回誘えば野添も四回は顔を出していた。
今回は、どうして断ったのか書いてはなかったが、さくらにはなんとなく理由が分かるような気がした。
勤務時間は五時までだったが、残務整理をしてさくらが会社を出たのは、もう六時半を回っていた。
電車を利用しないで、歩いて目的の場所に向かう。
クリスマスが過ぎると、街の風景は新年を迎えるデコレーションに変わる。
早々と門松を立てるビルもあれば、追い込みの大売り出しに精を出す商店もあった。
会社も、あと四日も出れば年末年始の休みに入る。
どことなく慌ただしい雰囲気の街が嫌いではなかったので、二〇分くらいかけてさくらはゆっくりと歩いた。
やがて、飲食店が建ち並ぶ一角に入った。
煌びやかなネオンが目にまぶしい。
極端に短いスカートのコスチュームを着た若い女性が、道行く人にビラを配っている。
それぞれのビルには、上から下までスナックやバー、居酒屋の看板がずらりと並んでいる。
その一つに、さくらは入っていった。
「夢」という、どこにでもありそうな名前のスナックが、今夜の目的の場所である。
幸いこのビルには、いわゆる風俗と呼ばれるような店はなく、女性一人でも入りやすかった。
エレベーターに乗り、五階のボタンを押した。
時計を見ると、七時五分前だった。