第3章

帰省

(1)


 只見と一夜を共にしてから二日後に、会社は休みに入った。

 さくらは、午後の飛行機で実家がある神奈川県に帰ることにしていた。

 マンションの掃除をし、カレンダーも付け替えて、この小さな部屋の迎春準備は終わりである。

 広島空港までは、バスで一時間足らずである。

 リムジーンバスは、バスセンターから頻繁に出ていた。

 広島市民球場の近くにあるバスセンターまでは、さくらのマンションから歩いて十分ほどの距離である。

 大きな荷物は、宅配便で送っておいたので、バッグと小さな旅行鞄を持って外に出た。

 通りには、車が忙しそうに走り回っている。

 もちろん、乗用車も走っているが、バンや小型トラックが圧倒的に多いような気がするのは年末という時期のせいかも知れない。

 センターに行くと、自動販売機で空港までの切符を買った。

 待っている客は、意外に少ない。

 この時期は、ここから帰る人より、よそから戻ってくる人のほうが多いのであろう。

 五分ほど待って、バスがやってきた。

 さくらは、一番前の運転席の真後ろに席を取った。

 座席の四分の一くらいの客を乗せて、バスは出発した。

 バスセンターから出る空港行きのバスには、二種類の経路がある。

広島駅の新幹線口に寄っていくものと、中筋駅という市内の新しい交通システムの駅に寄っていくものがある。

さくらが乗ったバスは、市中を通って新幹線口に寄るものだった。

空港までの停車は、ここだけである。

広島駅北側のホームには、五人くらいの客が待っていた。

運転手が下りていって、係りの男と世間話をしながらタバコを吸っている。

さくらは、運転席越しに見るともなく駅ビルの方角を眺めていた。

多くの人が出入りしている。

 たいていは、旅先や大阪、東京から実家へ帰ってきた人や、それを迎えにきた人々らしかった。

 その中に、黒いブルゾンを着た男が歩いていた。

 手になにも持っていなかったので、旅行者ではない。

「野添さん・・・」

 さくらは、思わず口に出して呟いた。

 肩を怒らせるように特徴的な歩き方をしているのは、間違いなく野添であった。

 野添の家族は、北海道の札幌と千歳の間にある恵庭市というところにいると聞いている。

 本当なら、今日にでも帰る筈である。

 その彼が、なんの旅支度もなく歩いている。

 野添が、ここ数年は正月も夏休みも北海道に帰っていないという噂は聞いていた。

 それは、単なる噂だと思っていたが、この様子では本当らしい。

 この間の夜、只見に抱かれてから、野添とは仕事に関係する話以外はしていない。

 さくら自身に、なんとなく野添に対してうしろめたい気持ちがあったからである。

 クリスマスイブの夜に、自分から半ば強引に野添を誘っておいて、その数日後に只見とベッドを共にした。

そのことが、彼に対する裏切りのような気がしたのである。

 気のせいか、野添の態度にも、どこか冷たいようなところがみえると、さくらは感じていたのである。

 もっとも、それは自分が感じているうしろめたさの裏返しなのかも知れなかった。

「じゃあ、頼みますで」

 係りの男の声がして、運転手が戻ってきた。

 自動ドアが閉じられて、バスが動き出す。

 駅前を旋回して、再び大きな通りへ出て行くのである。

 歩道の近くを回ったとき、野添はバスのすぐ近くを歩いていた。

 目が合ったら手を振ろうと待ち構えていたが、彼はバスの方には目もくれず歩いて行った。

 まさか、バスにさくらが乗っているのを知っていて無視した訳でもないだろうが、さくらには凄く虚しい気持ちを残させた。

 遠ざかる野添の後姿を眼で追いながら、何故か目頭が潤んでくるのを止めようもなかった。

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