第6章
恋心
(1)
年齢を経るごとに、時間の流れは速い。
この間、新年を迎えたかと思うと、もう一月も終わりである。
明日からは二月という日の朝、突然のように野添が休暇届を出した。
部長が東京の本社へ出張中だったので、それは次席にあたる只見が受け取った。
「珍しいですね。野添さんが、有給休暇の申請なんて。どこか、旅行でも?」
「いや、ちょっと・・・」
二人のやり取りを、パソコンの画面を見つめたまま、さくらが聞いていた。
野添とは、あの新年会の後は、あまり話をしていない。
さくら自身が、なにか野添を裏切ったような気持ちになって、自分からは話しかけ辛くなっていた。
それに、もともと野添は自分から話しかけてくるような性格でもない。
「まあ、たまには、ゆっくり骨休みをされたほうがいいですよ」
そんなことを言いながら、只見がハンコを押し、その横に代と書き加えた。
部長の代理で承認するという意味である。
野添が席に戻るのを見て、さくらは野添宛てにメールを打った。
『なにか、あったんですか? 心配です』
しばらくして、パソコンを開いた野添が、届いているメールを読んでから、ちらっとさくらを見た。
無視されるかと思ったが、キーボードを叩いている。
野添からの返信が届いた。
『使用で明日の朝、一番で北海道に帰る。別に、心配事はない』
届いたのは、味も素っ気もない返事であった。
さくらは、『了解しました』とだけ書いて送った。
その後で、広島空港のホームページにアクセスし、時刻表を開いてみる。
広島から新千歳空港への便は、一日に二本しかない。
朝一番といえば、午前十時に出発するJAS便である。
それを確認してから、さくらはパソコンを閉じた。
午後になってから、営業用のバッグを持って立つと只見のところへ行った。
「じゃあ、営業に出かけてきます。帰りは、直帰になると思います。明日は、瀬戸興商さんへ伺おうと思いますので、直行します」
「そう、ご苦労さん。寒いから気をつけて」
にこにこしながら、只見が言った。
直帰とは、会社へ寄らず帰宅することで、もちろん、直行は自宅から直接に取引先へ行くことを意味する。
時間が不規則な営業職では、普通に行われている行動パターンである。
「なにかあったら、電話を入れて」
そういう只見の声を背中に聞きながら、さくらは会社を出ている。
次の日の朝、黒いパンツスーツに身を包んださくらの姿が、広島空港のロビーにあった。
広島空港は、広島県の東部寄りにあって、広島からはリムジーンバスで約五十分の距離である。
二階の出発ロビーに腰を下ろしたさくらは、エスカレーターでひとが上がってくるたびに、視線を注いでいる。
九時半近くに着いたバスの乗客が、売店の横にあるエスカレーターを上ってロビーに入ってきた。
その中に、旅行鞄を提げた野添の姿があった。
真っ直ぐにカウンター横の自動チェックイン機に向かい、チケットを差し込んでいる。
その背後から、さくらが近づいた。
「野添さん」
呼びかけると、びっくりした顔で野添が振り向いた。
「え? どうしたんだ?」
「うん、福山まで行く途中なんだけど、お見送りに」
「そう」
複雑な表情で、さくらを見る。
「ねえ、あまりお時間はないんでしょう?」
「そうだな。搭乗は十五分前のはずだから」
時計を見ながら言う。
「あたし、この間のこと、お詫びしたくって」
「この間のこと?」
「新年会の後で・・・」
そのあとは言わなかったが、野添にはわかった。
「ああ・・・」
「ねえ、ちょっといいですか?」
野添の腕に、自分のそれを絡ませると、搭乗口の横から一階へ下りる階段のところへ引っ張って行った。
ここは、あまり乗客が利用する階段ではない。
その途中まで降りてから、さくらはいきなり野添に抱きつき、唇を押し付けた。
一瞬、驚いた野添は、そのままにしている。
背中に手を回して、さくらは唇を離そうとしない。
空港職員の制服を着た女性が、上から降りかけてきて、二人を見かけると慌てて元へ戻って行った。
その足音に気がついて、やっとさくらが体を離した。
潤んだ目をして野添を見上げる。
「ごめんなさい。じゃあ、気をつけて」
それだけ言って手を振ると、階段を下りて行った。
呆然と見送っている野添に、札幌行きの搭乗を開始するアナウンスが聞こえてきた。