第8章
港町小樽
(1)
新千歳空港から、野添はバスに乗っていた。
通常は、空港ビルの地下から発着する電車に乗ったほうが、札幌市内には早く着く。
ただ、北海道に来たという雰囲気を味わうには、広々と視界が開けた中を走るバスが最適であった。
野添は、北海道の出身なので、珍しくもなんともなかったが、それでも敢えてバスに乗った。
それは、つい最近まで自分の家庭を築いていた恵庭という街への郷愁が、無意識に働いたのかも知れない。
恵庭は、太平洋岸の苫小牧から、日本海側の小樽に至る道央地区の中間に位置する。
この辺りは、自衛隊の基地が多い。
北千歳には、陸上自衛隊第七師団があり、近隣の各地に部隊が置かれている。
千歳には、航空自衛隊の基地もある。
これは、かっての冷戦時代の名残なのかも知れない。
ついでながら、ほとんどの人は知らないが、皇族や首相が外国訪問のときに乗る政府専用機は、普段は航空自衛隊千歳基地に置いてある。
運行管理を、航空自衛隊内の特別輸送隊が行っているためである。
野添の家は、恵庭市の恵み野というところにあった。
いや、今でもある。
この辺りでは、バスは道央道の高速を走っているので、確認することは難しいが、かっての妻が現在もすんでいる筈である。
札幌まで、電車で三十分ほどの便利な場所であった。
ここに家を買おうとした頃は、野添は札幌支社に勤務しており、妻との関係も良く希望に満ち溢れていた。
二人の間が、ギクシャクし始めたのは、東京本社に転勤になり、北海道を離れるのは嫌だという妻を残して単身赴任をしてからである。
最初のうちは、無理をしてでも月に一回くらいは帰っていたが、仕事が忙しくなるにつれて、その回数は減っていった。
そのうち、帰ってみると我が家でありながら、まるで他人の家にきたような気分になることが多くなった。
妻自身も、帰ってくるのを面倒がるようになってきた。
知らない間に、二人の生活は別々の場所で、それぞれに完全に確立されたものになっていた。
電話さえも間遠くなり、夫婦と言うには名ばかりの存在になっていった。
もちろん、その責任の大半は自分にあると野添は自覚していた。
しかし、いったん冷めてしまった関係を、元に戻すのは容易なことではなく、それを行うには、お互いに年齢を重ね過ぎていた。
これから、残りの人生を、お互いに気まずい関係のまま一緒に過ごすのは苦痛以外のなにものでもなかった。
そうであれば、いっそ清算をして別々の人生を歩くことが最良の選択だと思われた。
そう決心をして、野添は多くもない資産の全てを妻に与え、離婚をすることにした。
これについて、妻は反対はしなかった。
彼女自身も、せっかく自由に過ごしていた生活を、元に戻す気はなかったのである。
ただ、月々いくらかの生活費を出すことを条件にした。
それは、野添にとっては少なくない負担であったが、飲まざるを得なかった。
ひとつには、妻に自立して生活していくだけの能力がなかったからである。
若くして野添と結婚した彼女は、OLの経験も僅かしかなく、いまから就職して自分の生活費を捻出する気もなかったのである。
考えてみれば、野添自身が新しい家で暮らした日々は僅かしかなかった。
いったい、自分で家を持つということは、なんなのだろうという疑問さえ沸いてくる。
既に実質的には自分のものではない家のローンを、野添は未だに払い続けている。
それを考えると、やりきれない思いがある。
もうひとつは、会社というものの非人間的な存在である。
こうなったことの大きな要因は、彼が会社の命令で単身赴任を余儀なくされたことにある。
もちろん、会社自身は単身赴任を奨励している訳ではない。
ただ、二年や三年で、全国を転々とする生活は、家族にとっては大きなマイナスである。
地に足を下ろした生活基盤というものがなく、将来設計もままならない。
まして子供がいれば、これに与える影響は想像以上に大きい。
再三の転校で、溜まりに溜まったストレスの結果、血を吐いた子供がいた同僚の例も、野添は知っている。
別に、会社に責任を転嫁するつもりはなかったが、それほどの負担を家族に負わせながら、短期間に転勤させる意味が、野添には理解できなかった。
既に、バスは恵庭市を過ぎて、札幌に向かって走り続けている。
その車窓を流れる懐かしい景色を、ぼんやりと眺めながら、野添の頭の中にはいろいろな思いが駆け巡っていた。