第9章
終章
(1)
その日の朝、マンションを出ようとしたさくらの携帯が鳴った。
「真辺さくらさんですか?」
「そうですが?」
「こちら、小樽南署の交通課ですが・・・」
小樽と聞いて、ドキッとした。
「野添雄二さんって方を、ご存知でしょうか?」
「はい」
返事をしながら、さくらの顔が次第に青ざめていく。
いろいろな状況が、勝手に頭の中を駆け巡った。
「そうですか。実は、野添さんの持ち物の中に、この番号とお名前を書いたものがあったものですから」
「持ちものって・・・。あの野添さんが、どうかしたんでしょうか?」
「実は、昨夜、交通事故に遭われまして」
「交通事故?」
さくらは、高い声を出して聞きなおした。
「それで、あの人は?」
「お気の毒ですが、お亡くなりになりました」
「はい?」
相手が言っていることが、よく理解できなかった。
「昨夜、お乗りになっていらっしゃったタクシーが、暴走族の車と衝突しまして、すぐに病院へ運ばれたのですが・・・」
「そんな・・・」
そこまで言って、その場に崩れ落ちた。
「もし、もし?」
手に持った携帯が、一生懸命に呼びかけている。
「そんな・・・そんなことはないわ」
携帯を抱きしめたまま、さくらはぶつぶつと呟いた。
不思議に、涙は出ていない。
悲しみで涙が出るほど、伝えられたことを信じてはいなかったのかも知れない。
数分間の間、そのままの姿勢でさくらは座り続けていた。
やっと我に還り、携帯を耳に当てた。
しかし、電話は切れていた。
部屋に戻ると、バッグを投げ出して、ソファに座り込む。
残された番号にリダイアルした。
「はい。交通課です」
出てきたのは女性である。
「あの、小樽の警察ですか?」
「そうですが?」
「先ほど、お電話頂いた広島の真辺ですが」
恐る恐る名乗った。
そんな電話していませんよと、先方から言われることを期待した。
「広島の真辺さん? 少々、お待ち下さい」
こちらの思いなど無関係に、相手は冷静な調子で応対している。
「ああ、もしもし?」
しばらくして、違う男の声に変わった。
「先ほどは、申し訳ありません。途中で電話が切れてしまって」
「ああ、そうですか」
どうも、さっきとは違う相手のようである。
「それで、野添さんのことなんですが・・・」
「野添さん? ちょっと待ってください」
手で受話器を覆ったのか、声が聞こえなくなった。
おそらく、周りの誰かに確認をしているのであろう。
しばらくして、「もし、もし?」と、呼びかけてきた。
「お待たせしました。お電話をした者が、席を離れていまして。野添さんの件というと、昨夜の事故に遭われた方のことですか?」
「はい」
やはり間違いではなかった。
顔の血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
「それで、失礼ですが、真辺さんは野添さんとは、どういうご関係の方でしょうか?」
当然、聞かれるべきことである。
さくらは、つばを飲み込んでから言った。
「妻のようなものです」
「は?」
訝しげに、問い直してくる。
「正式に、結婚はしていませんが妻です」
こんどは、思い切って言った。
「なるほど、つまり内縁関係の方ですね?」
さくらには、いやな言い方である。
しかし、警察では、そういう言い方になるのかも知れない。
「分かりました。さきほど、申し上げたかと思いますが、昨夜の午後十一時五十分ごろ、小樽市若竹町の路上で、乗っていたタクシーが暴走族の車と激突しましてね。すぐに救急車で病院に運ばれたのですが、ほぼ即死の状態でした」
「即・・・死・・・」
さくらは、呆けたように聞かされた言葉を呟いた。